BACK_HOMEトップのページ  BACK世界の国々のページ  戻る 戻る 

ギリシャ共和国


【 国 】
ギリシャ共和国 (Hellenic Republic)
LINK 日本政府外務省各国・地域情勢ギリシャ共和国基礎データ



【LINK】
LINK ヘラスジャパンコム
LINK AEGEANThe Aegean Map of Greece
LINK HELLENIC CULTUREThe Acropolis of Athens

LINK 世界204ヶ国を旅してヨーロッパ写真館ギリシャ写真館
LINK 重箱之隅観察記録ギリシャ写真集
LINK ワールドワイド水戸黄門飛猿の海外観光スポット写真集アテネ/ギリシャ



【世界遺産】
  LINK LINK LINK
1986 バッセのアポロ・エピクリオス神殿
 (Temple of Apollo Epicurius at Bassae)
UNESCO
1987 デルフィの古代遺跡
 (Archaeological Site of Delphi)
UNESCO TBS 写真LINK
1987 アテネのアクロポリス
 (The Acropolis, Athens)
UNESCO TBS
TBS
写真のページ
1988 アトス山
 (Mount Athos)
UNESCO
1988 メテオラ
 (Meteora)
UNESCO  
1988 テッサロニーキの初期キリスト教とビザンチン様式の建造物群
 (Paleochristian and Byzantine Monuments of Thessalonika)
UNESCO
1988 エピダウロスの古代遺跡
 (Archaeological Site of Epidaurus)
UNESCO  
1988 ロードス島の中世都市
 (Medieval City of Rhodes)
UNESCO TBS
1989 オリンピアの古代遺跡
 (Archaeological Site of Olympia)
UNESCO TBS
1989 ミストラ
 (Mystras)
UNESCO TBS
1990 デロス島
 (Delos)
UNESCO
1990 ダフニ修道院群、オシオス・ルカス修道院群、ヒオス島のネア・モニ修道院群
 (Monasteries of Daphni, Hossios Luckas and Nea Moni of Chios)
UNESCO
1992 サモス島のピタゴリオンとヘラ神殿
 (Pythagoreion and Heraion of Samos)
UNESCO
1996 ヴェルギナの古代遺跡
 (The Archaeological Site of Vergina)
UNESCO
1999 ミケーネとティリンスの古代遺跡群
 (Archaeological Sites of Mycenae and Tiryns)
UNESCO
1999 パトモス島の神学者聖ヨハネ修道院と黙示録の洞窟の歴史地区(コーラ)
 (Historic Centre (Chorá) with the Monastery of Saint John "the Theologian" and the Cave of the Apocalypse on the Island of Pátmos)
UNESCO
 
A:社団法人日本ユネスコ協会連盟




【 歴 史 】
 BC6000年ころ、バルカン半島南部は新石器時代に入っていた。

 BC3000年ころ、クレタ島でオリエント文明の影響を受けた青銅器文明を形成。ミノスと呼ばれる王のもとで、海上貿易に従事していた。

 BC1900年ころ、ギリシャ系のアカイア人が北方からバルカン半島に侵入。

 BC1800年ころ、クレタ島のクノッソスを中心に宮殿がつくられ、ミノス文明が栄える。

 BC1600年ころ、アカイア人は、クレタ文明の影響を受けながらミュケナイやティリンスなどに小王国を建設し、尚武的な青銅器文明を形成。

 BC1450年前後には、アカイア人はクレタ島も支配していた。

 BC1150年前後には、ドーリア人が南下し、ミュケナイ文明は滅亡。その文字は失われ、その後400年間のギリシャ史は「暗黒時代《となった。


 BC800年ころになると、ポリスとよばれる都市国家を形成。

 BC494~BC479年 ペルシャ戦争。アケメネス朝ペルシャのダレイオス1世、クセルクセス1世と、3度にわたって戦い勝利する。

 BC450~BC400年ころ、アテネはペリクレスの指導のもとに民会を中心とする直接民主制を完成。パルテノン神殿を造営するとともに、彫刻やギリシャ悲劇などのギリシャ古典文明が栄えた。

 BC431~BC404年 ペロポネソス戦争。アテネ海上帝国とスパルタを盟主とするペロポネソス同盟が戦う。アテネの敗戦により、アテネの衰退、ポリス間の抗争、ポリス内部の抗争が始まる。

 BC338年、北方に台頭したマケドニアのフィリッポス2世が、カイロネイアの戦いでアテネ・テーベ連合軍を破った。翌年、マケドニアはヘラス同盟をつくり、スパルタを除く諸ポリスを支配下に置いた。

 BC330年、フィリッポス2世の子アレクサンドロス大王は、ペルシャへ遠征し、ダレイオス3世のアケメネス朝ペルシャを滅ぼす。その後、アレクサンドロス大王は、大帝国を建設し、各地に都市アレキサンドリアを建設。オリエント文化とギリシャ文化の融合を図った。

 BC323年に大王が熱病のためバビロンで死亡すると、後帝国は分裂。ギリシャ地域は、カサンドロス朝や諸都市同盟の支配下におかれた。

 BC277年、マケドニアにアンチゴノス朝が成立するが、BC168年にローマ軍に破れ、ギリシャはローマの属国となる。しかしながら、ギリシャの文化はかえってローマに圧倒的な影響を与えることとなる。


 AD330年、ローマのコンスタンティヌス1世は、ビザンチウムへ遷都し、コンスタンチノープルと改吊した(現在のイスタンブール)。

 395年にローマ帝国が分裂すると、コンスタンチノープルは東ローマ帝国の首都となった。

 673年、717年にイスラム軍の攻撃を受けるが、これを退け、独自の文化を形づくっていった。

 1204年には、コンスタンチノープルを陥れた十字軍によりラテン帝国が建設され、東ローマ帝国は一時中断した。

 1265年にラテン帝国が滅亡し、東ローマ帝国が復活するが小国家にすぎなかった。

 1453年に、オスマン帝国によって滅ぼされたが、オスマン帝国は税の徴収とひきかえにギリシャ正教会の自治を認めたため、ギリシャ人の民族性は保たれた。

 1821年、オスマン帝国に対し独立戦争を起こし、苦戦の末1829年に自治を獲得、1930年に列強諸国により独立が承認された。

 1832年に王国となり、1864年に立憲君主制へ移行した。

 1941年、第二次世界大戦でナチス・ドイツにより席巻され、レジスタンスにより左派勢力が伸張。戦後は左右両派による内乱となったが、アメリカの援助を受けた政府軍が勝利し、1952年にNATO(北大西洋条約機構)に加盟した。

 1967年、クーデターにより軍事独裁政権が誕生し、1973年に共和制を施行したが、1974年にキプロス紛争を機に倒れ、文民政権が復活した。

 1981年、EC(ヨーロッパ共同体)に加盟。同年に選挙により社会主義政権が誕生。1990年の選挙で保守政権となったが、1993年には社会主義政権が復活した。


参考文献
「クロニック世界全史《講談社
「年表式世界史小辞典《文英堂





更新 2004/9/1

  <広告>


 BACK_HOMEトップのページ  BACK世界の国々のページ  戻る 戻る