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報道統制[GHQの日本占領政策]


 GHQは、「日本に言論の自由を確立するため」として、1945年(昭和20年)9月19日にプレスコード(Press Code for Japan)を発令し、9月21日に発布された。
 新聞などの報道機関を統制するための規則(新聞紙法)であり、これにより検閲が実行された。
 正式名称は SCAPIN-33「日本に与うる新聞遵則」。「日本新聞遵則」また「日本出版法」ともいう。
(出典:LINK プレスコード - Wikipedia

 江藤淳氏の調査によって、アメリカ国立公文書館で見つかった資料「削除と発行禁止のカテゴリーに関する解説」では、検閲の対象カテゴリーとして次の30項目が規定されていた。(出典:LINK プレスコード - Wikipedia
 1 SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判
 2 極東国際軍事裁判批判
 3 GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判
 4 検閲制度への言及
 5 アメリカ合衆国への批判
 6 ロシア(ソ連邦)への批判
 7 英国への批判
 8 朝鮮人への批判
 9 中国への批判
 10 その他の連合国への批判
 11 連合国一般への批判(国を特定しなくとも)
 12 満州における日本人取り扱いについての批判
 13 連合国の戦前の政策に対する批判
 14 第三次世界大戦への言及
 15 冷戦に関する言及
 16 戦争擁護の宣伝
 17 神国日本の宣伝
 18 軍国主義の宣伝
 19 ナショナリズムの宣伝
 20 大東亜共栄圏の宣伝
 21 その他の宣伝
 22 戦争犯罪人の正当化および擁護
 23 占領軍兵士と日本女性との交渉
 24 闇市の状況
 25 占領軍軍隊に対する批判
 26 飢餓の誇張
 27 暴力と不穏の行動の煽動
 28 虚偽の報道
 29 GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及
 30 解禁されていない報道の公表


【新聞報道取締方針(SCAPIN-16)】
 プレスコードに先立って、9月10日に「新聞報道取締方針」「言論及ビ新聞ノ自由ニ関スル覚書」(SCAPIN-16) が発せられ、言論の自由の制限は最小限度に止め、GHQ及び連合国批判にならずまた世界の平和愛好的なるものは奨励とされた。
(出典:LINK プレスコード - Wikipedia


【発行停止処分】
 まず、同盟通信社が、24時間(1945年9月14日午後5時29分〜)の業務停止を命じられ、15日正午に業務再開を許されたときには、同盟通信社の通信は日本のみに限られ、同盟通信社内に駐在する米陸軍代表者によって百パーセントの検閲を受けることになっていた。(出典:江藤淳著「閉ざされた言語空間」(文春文庫、1994年)p9 )
 朝日新聞は、下の2つの記事によって、48時間(9月18日午後4時〜9月20日午後4時)の業務停止命令(SCAPIN-34)を受けた。(出典:LINK プレスコード - Wikipedia および 江藤淳著「閉ざされた言語空間」p9 )
  @ 9月15日付記事、鳩山一郎の談話が掲載されていた。
(参考:次の動画の12分01秒付近から、記事の一部が紹介されている。
 LINK YouTube ≫ 【Front Japan 桜】高山正之・木坂麻衣子:オバマ大統領は原爆投下を謝罪せよ / こどもの日の親の話[桜H28/5/6] )

  A 9月17日付記事、「求めたい軍の釈明・“比島の暴行”発表へ国民の声」という記事が掲載されていた。
 英字新聞ニッポン・タイムズ(The Nippon Times)は、24時間(9月19日午後3時30分〜9月20日午後3時30分)発行停止させられた。(出典:江藤淳著「閉ざされた言語空間」(文春文庫、1994年)p9 )
 東洋経済新報の昭和20年9月29日号は、回収を命じられ、断裁処分に付された。(出典:江藤淳著「閉ざされた言語空間」(文春文庫、1994年)p9 )


【プレスコード(Press Code for Japan)=日本に与うる新聞遵則(SCAPIN-33)】
・SCAPIN-33(最高司令官指令第33号)「日本に与うる新聞遵則」
・1945年(昭和20年)9月21日通達。
・実施者は米太平洋陸軍総司令部民事検閲部。
・検閲は、連合国軍最高司令官総司令部参謀部のうち情報担当のG−2(参謀2部)所管下の民間検閲支隊(CCD=Civil Censorship Detachment)によって実施された。
・1948(昭和23)年には、GHQの検閲スタッフ 370名、日本人嘱託 5,700名がいた。新聞記事の紙面すべてがチェックされ、その数は新聞記事だけで一日約 5,000本以上であった。
(出典:LINK プレスコード - Wikipedia





【LINK】
・江藤淳 著「閉ざされた言語空間−占領軍の検閲と戦後日本」文春文庫、1994年
・江藤淳 著「忘れたことと忘れさせられたこと」文春文庫、1996年
・江藤淳 著「一九四九年憲法−その拘束」文春文庫、1995年
LINK プレスコード - Wikipedia
LINK 国際派日本人養成講座(既刊閲覧、ガイド、索引)Media Watch: 忘れさせられた事(江藤淳氏追悼号)
LINK MSN産経ニュース【月刊正論】世界に「反日の毒」をまき散らす 外国特派員協会(2014年5月14日付の記事)
 この記事のなかに、次のような記述がある。なお、引用文中の小見出し以外の太字赤字および(注)は、当サイト管理人が施したものです。
(前略)
 ニューヨーク・タイムズ元東京支局長H・S・ストークスはFCCJの本姿を次のように述べている。
 日本外国特派員協会(注:FCCJ=The Foreign Correspondents' Club of Japan )は、マッカーサーの日本占領と同時に設立された。理由は、アメリカによる日本占領がいかに正しく、人道的であり、歴史の偉業であるか、全世界へ向けて報道させるためだった。
 日本外国特派員協会の会旗(バナー)にも、「1945年設立」と占領の年が、誇らしげに刻まれている。いわば日本占領の、もっといえば東京裁判史観を、世界中に撒き散らした総本山が、日本外国特派員協会といってよい。
 マッカーサーはメディアの力を目いっぱいに活用して、自らのエゴを美しく飾り立てた(『英国人記者の見た連合国戦勝史観の虚妄』)。
 占領期、FCCJはGHQの情報発信基地だった。占領軍が去った講和後もそのスピリットを受け継いだ外人ジャーナリストたちは、いまなお日本人を敗戦国民扱いし、反日活動にいそしんでいる。その姿をあぶり出してみよう。
■歴代「害人記者」のすさまじい所業
 週刊新潮(2011年2月3日号)に「害人記者会」というタイトルの記事が載った。書いたのは元新聞記者だ。あらましは次のようなものだ。
●シカゴ・サン紙特派員マーク・ゲインは『ニッポン日記』で敗戦下猖獗を究めた米兵の狼藉に一行も触れていない。
 狼藉とは調達庁の調べとして占領期間中、米兵により、毎年平均350人の日本人が殺され、1000人以上の婦女子が暴行されたことだ。
 GHQの強要で日本政府が設けた慰安施設(売春宿)について「米軍を腐敗させようとするぬかりない日本側の謀略がある。その武器は酒と女で、目的は占領軍の士気と占領政策の破壊にあった」とすり替えた。
 10万人が生殺しにされた東京大空襲の焼け跡を眺め、「6千人は死んだ」と平然とウソをついている。
 日本にはまだ十分過ぎる工業力があるから「製鉄、造船施設の大半を支那・朝鮮にやろう。それでも日本は豊かだ」と言う。他のアジア諸国が日本より貧しかったのは白人たちに植民地として搾取されていたからだろう。
●南ドイツ新聞のボルクは皇太子殿下の写真に「失敗」のキャプションをつけた。
●NYタイムズのデビット・サンガーは小錦に人種偏見で横綱になれないとしゃべらせた。人種偏見とは黒人奴隷を使い、ポリネシア人が平和に暮らしていた南国の楽園ハワイをかすめ取り、十万人単位でフィリピン人を虐殺したアメリカ人のためにある言葉だ。
●サンガーの後任のクリストフは日本兵が人肉を食らったと書いた。
●その後任のハワード・フレンチは在日朝鮮人の犯行を日本人がやったと書いた。
 極東に優秀な記者は来ない。日本にやって来た外人記者の大半はウソやデタラメしか書かなかった。
 それでも大手の欧米報道機関が職業記者を送り込んでいた時代はマシだったという。留学や物見遊山で日本にやって来て本国に帰れなくなり、他にやることがなくジャーナリストを名乗るようになった輩がFCCJに巣食いだした。それが協会幹部になってから酷くなったという。その仲間に、暇を持て余した日本人たちが加わってメチャクチャになった。
(後略) 』
LINK YouTube ≫ 【GHQ焚書図書開封】「GHQ日本人洗脳工作の原文発掘」 関野通夫氏と語る1[桜H27/5/6] 第177回:「GHQ日本人洗脳工作の原文発掘」 関野通夫氏と語る1  必見
・関野通夫 著「日本人を狂わせた洗脳工作 いまなお続く占領軍の心理作戦」自由社(自由社ブックレット)、2015年
LINK YouTube ≫ 【高橋史朗】あらためて『GHQ洗脳政策』を考える[桜H27/6/23] 重要
LINK YouTube ≫ 【高橋史朗】ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムの源流を暴く![桜H27/8/4] 〜前半は中国による世界記憶遺産登録の動きについて 重要


【参考ページ】
1945年 日本がポツダム宣言を受諾して降伏
1945年 日本人捕虜のシベリア抑留(リンクのみ)
公職追放[GHQの日本占領政策](リンクのみ)
報道統制[GHQの日本占領政策] 〜このページ
焚書[GHQの日本占領政策]
教育委員会制度[GHQの日本占領政策](リンクのみ)
アメリカ兵による犯罪[GHQの日本占領政策]
1946年 日本国憲法公布
1950年 朝鮮戦争(〜1953)(リンクのみ)
1950年 日本で小倉黒人米兵集団脱走事件
私の思うところ日本の歴史認識
私の思うところ反日宣伝に関するリンク集





参考文献
「閉ざされた言語空間−占領軍の検閲と戦後日本」江藤淳著、文春文庫、1994年
LINK プレスコード - Wikipedia
LINK SCAPIN - Wikipedia
LINK 国際派日本人養成講座(既刊閲覧、ガイド、索引)Media Watch: 忘れさせられた事(江藤淳氏追悼号)



更新 2016/5/8

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