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焚 書[GHQの日本占領政策]


 GHQは、「プレスコード」を出して報道統制を行い、検閲を行うとともに、また一方では、日本の出版物のうち不適切としてリストアップした図書没収を行った。(注:英語では、 the Confiscation of the Propaganda Publications (宣伝用刊行物没収)と呼んでいたらしい。) 西尾幹二氏は、これを、GHQによる「焚書」と呼んでいる。

 この政策を主導したのは、GHQの「民間検閲部隊(CCD)」で、このうちの「プレス・映像・放送課(PPB)」の「調査課(RS)」が担当であった。「調査課(RS)」に「没収図書指定リスト作成班(注:米軍属6人(うち将校2人)。日本人を常時9〜25人雇用。)が置かれた。(出典:LINK YouTube ≫ GHQ焚書図書開封 第23回

 焚書の対象は、1928年(昭和3年)1月1日(注)から1945年(昭和20年)9月2日の間に出版されたもの(約22万点ある)で、ここから 9,288点(当初。日本側の協力?)がリストアップされ、これを受けてGHQが 7,769点の没収リストを提示した。この 7,769点のGHQ没収リストは、48回に渡って発出されたGHQ指令(覚書)の合計であるが、これには重複があり、重複を除くと約7,100点ほどであると、西尾幹二氏が後の動画で述べている(注:どの回だったか調査中)。(出典:LINK YouTube ≫ GHQ焚書図書開封 第23回
(注: 1928年(昭和3年)は、日本の山東出兵、済南事件、張作霖爆殺事件、蒋介石の北伐完成などがあった年です。最近、張作霖爆殺事件にコミンテルンの諜報員が関わっていたことが、明らかになってきました。焚書の対象がこの年からであることと、関係があるかもしれないと、当サイト管理人は推測します。  1928年 中国(満州)で張作霖爆殺事件 )

 実際の没収作業については、日本の文部次官通達が、各県知事に対して出され、県知事が没収官(教育現場の教師は含めない)を指定して没収作業に当たらせた。主に古書店出版社などが対象で、一般家庭や図書館にあるものは除外された。原則として、没収の当事者以外には秘密裏に没収された。隠して没収を免れるなど、一部には消極的な抵抗もあったようである。没収行為は、1946年(昭和21年)からスタートし、いつまで続いたかは不明(講和条約のころか?)。(出典:LINK YouTube ≫ GHQ焚書図書開封 第23回

 没収した図書の一部は、アメリカの「ワシントン文書センター」へ送られ、今は「アメリカ議会図書館」にあるという。また、検閲した文書も、アメリカの「メリーランド大学」から「プランゲ文庫」と渡り、現在、国立国会図書館(日本の?要確認)がマイクロフィルム化を進めているという。(出典:LINK YouTube ≫ GHQ焚書図書開封 第23回


【日本人による委員会】
 帝国図書館館長であった岡田温(ならう)さんの回想記「終戦直後図書館界大変動期の回顧」が見つかった。
 この回想記によると、出版物追放に関する調査のための小委員会が設けられ、その主なメンバーは、外務省の田中政治部次長、外務省の矢野事務官、内閣終戦連絡事務局の太田事務官らが担当で、専門委員として東京大学の尾高邦雄助教授、金子武蔵助教授、帝国図書館の岡田温(ならう)館長。小委員会の上にある本委員会は、委員長牧野英一の主宰で、首相官邸内会議室で開かれた。いずれも秘密会議だったらしい。
 日本の帝国図書館(現在の国立国会図書館)のリストを使って絞り込みを行った可能性が、想起される。
(出典:LINK YouTube ≫ GHQ焚書図書開封 第23回





【LINK】
LINK バナナ・ヒロシの「はーい!バナナです」西尾幹二「GHQ焚書図書開封」を読んでいる 〜個人のブログ
 このブログに、西尾幹二著「GHQ焚書図書開封」の一部が抜粋されている。GHQ焚書の概要が記述されている。
LINK YouTube ≫ GHQ焚書図書開封 第23回 重要 〜第23回:『GHQ「焚書」図書開封』の刊行と新事実の発見
LINK YouTube ≫ 【討論】シリーズ「日本の敵」:GHQ焚書図書とは何だったのか?[桜H28/10/22] 重要
私の思うところ日本の歴史認識 の「○西尾幹二」の項も参照のこと。

・西尾幹二著「GHQ焚書図書開封」徳間書店、2008年
・西尾幹二著「GHQ焚書図書開封2」徳間書店、2008年
・西尾幹二著「GHQ焚書図書開封3」徳間書店、2009年
・西尾幹二著「GHQ焚書図書開封4 「国体」論と現代」徳間書店、2010年
・西尾幹二著「GHQ焚書図書開封5 ハワイ、満州、支那の排日」徳間書店、2011年
・西尾幹二著「GHQ焚書図書開封6 日米開戦前夜」徳間書店、2011年
・西尾幹二著「GHQ焚書図書開封7 戦前の日本人が見抜いた中国の本質」徳間書店、2012年
・西尾幹二著「GHQ焚書図書開封8 日米百年戦争」徳間書店、2013年
・西尾幹二著「GHQ焚書図書開封9 アメリカからの「宣戦布告」」徳間書店、2014年
・西尾幹二著「GHQ焚書図書開封10 地球侵略の主役イギリス」徳間書店、2014年
・西尾幹二著「GHQ焚書図書開封11 維新の源流としての水戸学」徳間書店、2015年
  注:GHQ焚書図書開封のシリーズは、文庫版(徳間文庫カレッジ)が出ているようです。



【参考ページ】
1945年 日本がポツダム宣言を受諾して降伏
1945年 日本人捕虜のシベリア抑留(リンクのみ)
公職追放[GHQの日本占領政策](リンクのみ)
報道統制[GHQの日本占領政策]
焚書[GHQの日本占領政策] 〜このページ
教育委員会制度[GHQの日本占領政策](リンクのみ)
アメリカ兵による犯罪[GHQの日本占領政策]
1946年 日本国憲法公布
1950年 朝鮮戦争(〜1953)(リンクのみ)
1950年 日本で小倉黒人米兵集団脱走事件
私の思うところ日本の歴史認識  (特に「○西尾幹二」の項)
私の思うところ反日宣伝に関するリンク集





参考文献
LINK YouTube ≫ GHQ焚書図書開封 第23回 〜第23回:『GHQ「焚書」図書開封』の刊行と新事実の発見
 この動画のなかから、重要と思われるポイントをまとめてみました。なお、著書「GHQ焚書図書開封」(第一巻)の第一章も参考にしました。
・General HeadQuarters , Supreme Commander for the Allied Powers
 GHQ(=総司令部) SCAP(=連合国軍最高司令官)
 the Confiscation of the Propaganda Publications (宣伝用刊行物没収)
・焚書の対象は、1928年(昭和3年)1月1日〜1945年(昭和20年)9月2日に出版されたもの(約22万点ある)。
・22万1723点(対象期間中の出版数)→9288点(当初。日本側の協力?)→7769点の没収リストGHQが提示。1948年(昭和23年)6・7月ころ)→文部次官通達→県知事→没収官(現場の教師は含めない。当事者以外には秘密裏に没収する。)
・(注)この7769点のGHQ没収リストは、48回に渡って発出されたGHQ指令(覚書)の合計であるが、これには重複があり、これを除くと約7100点ほどであると、西尾幹二氏が後の動画で述べています。(どの回だったか調査中)
・日本の帝国図書館(現在の国立国会図書館)のリストを使って絞り込みか。
・帝国図書館館長であったオカダさんの回想記「終戦直後図書館界大変動期の回顧」が発見された。これによると、出版物追放に関する調査のための小委員会が設けられ、その主なメンバーは、外務省の田中政治部次長、外務省の矢野事務官、内閣終戦連絡事務局の太田事務官らが担当で、専門委員として東京大学の尾高邦雄助教授、金子武蔵助教授、帝国図書館の岡田温(ならう)館長。小委員会の上にある本委員会は、委員長牧野英一の主宰で、首相官邸内会議室で開かれた。いずれも秘密会議だったらしい。
・GHQ > 民間検閲部隊(CCD) > プレス・映像・放送課(PPB) > 調査課(RS)=没収図書指定リスト作成班(米軍属6人(うち将校2人)。日本人を常時9〜25人雇用。)
・没収行為は、1946年(昭和21年)からスタートし、いつまで続いたかは不明(講和条約のころか?)。
・民間人一般家庭にあるもの、図書館にあるものは除外。
・没収した図書→アメリカのワシントン文書センター→アメリカ議会図書館
・検閲した文書→アメリカのメリーランド大学→プランゲ文庫→国立国会図書館(日本?)がマイクロフィルム化
LINK バナナ・ヒロシの「はーい!バナナです」西尾幹二「GHQ焚書図書開封」を読んでいる 〜個人のブログ
「GHQ焚書図書開封」西尾幹二著、徳間書店、2008年 (特に「第一章」)



更新 2016/10/29

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